「勉強が面白い世界」があると、子どもたちに伝えたい

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ちょっと聞いてください!
今週、勤務校(国立の中学校)で『アイスプラネット』という物語文の授業をしたんです。

『アイスプラネット』というタイトルの本の表紙

そして授業のあと、休み時間に生徒たちが

「この話、めっちゃ良かったねー!」

と、興奮した様子で感想を言い合っていたんです。
(補足しておくと、私はサブティーチャー=2人目の教員なので、授業をしたのは別の先生です。この先生の授業が本当に面白いんですよ…)

国語の教科書を読んで、中学生が

面白かった~!

と言い合っている光景、ちょっと想像できなくないですか…?
でも、そういう空間が、ある所には確かにあるんです。

私はこのことを、生の言葉で日本中の小中学生に伝えたくて、全国のいろんな学校を見学しています。
どうしてそんなことをしているのか、今日は詳しく書きます。



「勉強=ワークを解くこと」だった地元

私が以前勤務していた塾では、生徒のほとんどが「国語の勉強=ワークを解くこと」だと考えていました。

「宿題があと30ページもある…はぁ、つらい…」

と、まるで苦行をしているみたいだったんです。

でも、本当は国語の勉強って、

なんで「かすみ草のような人」なんだろ?
「可憐な人」や「ひまわりのような人」って書く場合と、どう印象が違うかな?

主人公はどうしてこんな嘘をつくんだろ?
もし嘘をつかなかったら、展開が変わるかな?
そこから作者の意図がわかるかも?

このタイミングで、急に空が晴れるの都合良すぎない?
何か意味があるのかも?

みたいに…
自分や友だちの気になることを共有し合いながら深く読んでいくと、すごく面白いんです。

以前開催した読書ワークショップの受講生には、よく、「謎解きみたい!」と言われました。

この手法を、私たち国語の教師は「問いから始まる授業 」や「読み合いの授業」と呼ぶのですが…このような授業スタイルの学校や塾は、とても少ないと感じます。

講義形式で「ここはこう読みましょう」と進めていくケースが、まだまだ多いです。

そのため、私はかつての塾生たちから、何度もこんなことを言われました。

先生みたいな読み方して、意味あるんですか?
だって、そんなのテストに出ないじゃないですか

私がいろいろな(特に探究学習に力を入れている)学校見学を始めたのは、こういう生徒たちに納得のいく説明ができない、自分の経験不足が悔しくてたまらなかったからです。


「国語は面白い」と感じられない理由

子どもたちが勉強をつまらなく感じる理由について、もう少し詳しく書きます。


数年前、ある中学校を見学させていただきました。

そこで感じたのが、生徒が「自分で考える・決める機会の少なさ」です。
 
具体的には、

  •  今日は『道』という字を練習します(書写)
    →なぜ「道」を練習するのかについて説明がなく、生徒が考える時間もない
     
  • 〇行目~×行目をみんなで音読してください(英語)
    →何のために音読をするのか?の説明がない
     
  • 生徒が挙手しても、教師が意図した答えと違うと「そうじゃないんだよな…」と否定されてしまう(国語)
     
  • その結果、生徒が手を挙げづらくなるので前から順に当てるが、当てられた生徒がまた否定されてしまう
    →本文を読んで考えるのではなく、「先生の頭の中を当てる」ことが目的になってしまっていた

のような授業です。
 
授業が先生の頭の中だけで完結していて、生徒自身が考えたり、決めたりする余白が極端に少ないと感じたんです。

もちろん、授業そのものが悪いわけではないんです。
ただ、今なぜ・何のためにこれをやるのか生徒自身が言語化できていないと、ただ「やらされているだけ」の50分間になってしまいます。

そして子どもは、やらされ感のあるものを面白いとは感じません。
大人だって同じですよね。

このような環境の中にいたら、

「この話、めっちゃ良かった~!」

と教科書を楽しむ世界を想像できないのも、仕方のないことだと思うんです。
 
私は、この状況を変えたいと思いました。


でも、確かにある

生徒たちが勉強しながら「面白いね〜!」と言い合える場、つまり「勉強を楽しむ世界」があるという私の考えは、2021年の時点(私が全国の学校見学を始める前)では、あくまで仮説でした。
 
そういう学校や生徒を、実際に見たことがなかったからです。

でも今は、自信を持って言えます。

そういう世界は、確かに存在します。

なぜならこの数年間、さまざまな学校を訪ねて、そんな子どもたちの姿を実際に見てきたからです。

見学した時の写真をイラスト化したもの。

冒頭に書いたように、つい先日も、そういう光景が目の前にありました。


「世界を信じられない」という壁

「テストに出ないことを勉強したって、意味ないじゃん。」

私は自分の塾でのこの経験を、以下のように表現しています。

自分が見たことのない世界は、信じられない

軽井沢風越学園や、学芸大学附属小金井小学校、宮崎県立飯野高校など…さまざまな探究学習の先進校を見学して感じたのは、

学ぶって楽しいよね。

と子どもたちが感じられる環境はたくさんあって、教育的な手法によって再現できるということです。

しかも、偏差値に関係なく。
(飯野高校の偏差値は42-46です)

でも、それを見たことがない子どもたちは、そういう世界が存在することを信じられません。

だから、探究的な読み方を説明しても

テストに出ないこと勉強したって意味ないじゃん

というように、勉強を楽しむことを最初から諦めてしまいます。

だからこそ、私は伝えたいです。

「勉強が面白い世界」が、確かにあるんだよ と。


「国語の教科書読書会」という挑戦

見たことのない世界を信じられないなら、実際に見てほしい。

そう思って始めたのが、「国語の教科書読書会」という取り組みです。

(この回はくもん式の教室をお借りした都合で、くもんの国語プリント用にアレンジして開催しました)

これは、国立や私立の小中学校で行われている

  • 生徒の問いから始まる授業
  • 読み合いを中心にした授業

を参考にしながら、国語の教科書の文章(たとえば『走れメロス』や『星の花が降るころに』など)を題材にして、2時間×3回で完結するようアレンジしたワークショップです。


最後に

勉強って面白い。国語の教科書ってすごい。
そんな世界が確かに存在しています。

本当は読むことが好きなのに、この楽しさをまだ感じたことのない子たちがたくさんいると思います。
そういう子たちに、この空気に触れてほしい。

そのためにも、読書会の取り組みを広げていきます!